「通級指導23万人・過去最多」を4児の父が読む——“標準”に合わせるより、その子に合わせる時代へ

先日、こんなニュースが目に留まりました。通級指導を受けている小中高生が、2024年度に23万405人と過去最多になった——文部科学省が2026年7月に公表した調査結果です。障害の種別ではADHD(注意欠陥多動性障害)、言語障害、自閉症の順に多いとされています。

数字だけ見れば「そんなに増えているのか」で通り過ぎてしまいそうな話です。でも私は、この記事を読んで少し手が止まりました。わが家には4人の子どもがいて、そのうち2人が中学受験に関わっています。上の子は難関校に合格しました。そして今、下の子が受験の真っ最中です。この2人が、驚くほど違うのです。

同じ親から生まれても、こんなに違う

上の子は、正直に言えば「勉強が向いていた」子でした。やれば伸びる。だから親も塾も、レールに乗せてあげれば結果がついてきた。それが当たり前だと、どこかで思い込んでいたのだと思います。

ところが下の子は、同じようにやっても、なかなか成績が伸びません。机には向かっている。本人も頑張っている。それでも、テストの点は上の子のときのようには動かない。親としてつい「なぜだろう」と考えてしまうのですが、最近は問いの立て方そのものが違うのではないか、と感じています。「なぜ伸びないのか」ではなく、「この子は何が得意で、どういうときに力が出るのか」。同じ問題を解かせても、上の子とは違う道筋で考えている。それは「劣っている」のではなく、単に「違う」だけなのかもしれない、と。

「標準に合わせる」から「その子に合わせる」へ

通級指導が過去最多になった背景には、制度の広がりや、保護者の理解が進んだこともあると言われています。ここで私が大事だと感じるのは、人数の多寡ではありません。「一つの“標準”に全員を合わせる」のが当たり前だった時代から、「その子の特性に環境のほうを合わせる」ことが選択肢として当たり前になりつつある——その静かな転換のほうです。

中学受験という世界は、どうしても「みんなと同じ土俵で、同じ物差しで測る」性格を持っています。偏差値も合格最低点も、たった一つの数直線の上に子どもを並べる。その物差しは便利で、否定はしません。私自身、上の子のときにはその物差しに助けられました。

でも、下の子を見ていると思うのです。この物差しが測れているのは、この子のほんの一部でしかない、と。人の話をよく聞くところ。弟や妹の面倒を自然に見るところ。負けても翌朝にはケロッと立ち直る、あの雞復の速さ。どれも数直線には載りません。載らないけれど、大人になってから効いてくるのは、案外そういう力だったりする——40代を過ぎて何度か転職した身としては、そう思わずにいられないのです。

親の“スイッチ”と、子の時間

正直に書くと、わが家では最近、妻が下の子の受験にぐっと本気になりました。いわゆる「スイッチが入った」状態で、子に強く当たってしまう場面もあります。妻を責めたいわけではありません。愛情の裏返しなのは分かっています。ただ、その様子を横で見ていると、ふと「これは誰のための受験なんだろう」と考えてしまう自分がいる。合格という結果が欲しいのは、この子なのか、私たち親なのか。

通級指導のニュースが私に効いたのは、たぶんそこです。「標準に追いつかせる」ことに必死になっている自分に、「そもそも、この子を別の物差しで見てあげているか?」と問い直させてくれた。特別な支援が必要かどうか、という話に限りません。すべての子に、その子だけの「合わせ方」があるはずで、親の仕事はきっと、レールに押し戻すことより、その合わせ方を一緒に探すことなのだと思います。

それでも受験はさせる、けれど

誤解のないように言うと、私は受験をやめさせようとは思っていません。挑戦することそのものには、間違いなく価値がある。結果がどうであれ、机に向かい続けた時間は、この子の中に残ります。

ただ、合否で本人の価値が決まるわけではない——この一点だけは、親が絶対に見失ってはいけないと思っています。伸びの速さで、上の子と下の子を比べない。標準からの距離で、この子の値打ちを測らない。それを、言葉だけでなく、日々の態度で伝えられているか。自分に問い続けている最中です。

あなたのご家庭では、お子さんを「どんな物差し」で見ていますか。もし一つの数直線しか手元にないと感じたら、今日はもう一本、別の物差しを持ってみる日にしてもいいのかもしれません。


参考:
通級指導を受ける小中高生・過去最多23万人(ReseEd)
通級指導の利用、小中高生で最多23万人 文科省調査(日本経済新聞)